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Total Flight Operation System Study Group
航空運航システム研究会
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日航機ニアミス事故の最高裁決定に対する見解

2010年12月15日更新

 10月26日最高裁が、2001年に起こった静岡県焼津での航空機の異常接近に関して、管制官への高裁判決に対する上告を棄却する決定を行った。このニュースを知った管制官たちは一様に、「自分たちが毎日一生懸命に仕事をやってきた報いがこれなのか? これが社会正義なのか?」と耳を疑ったという。
 航空は最先端の技術によって支援されていることは言うまでもないが、航空交通の秩序と安全は、管制官とパイロットというきわめて人間的かつ職人的なプロの技(わざ)によって維持されていることも事実である。さらに管制官やパイロットの仕事への熱意とか、職人的な阿吽(あうん)の呼吸とか言った「人間のパフォマンス」が、テクノロジーとか機械がもつ‘至らなさ’を補っていることもまた事実である。
管制官やパイロットなど航空の運航に携わる人たちの「プロ意識や献身的な情熱」が、きわめて過密状態にある日本の航空交通を支えており、同時にこれが日本の社会安全の重要な一翼を担っていることをあらためて確認するとともに、本件に関する最高裁の決定を検証したい。

本決定には、以下の重要な視点が抜けていると言わざるを得ない。

1.システム性事故の視点
 誰かのエラーが直接事故に結びつく」、いわゆる、事象の連鎖が「当事者と事故」の鎖だけで成り立つことは極めて稀なことで、実際には、関連するシステムや装置、さらには多くの部署、部門、組織が関わる多くの「不安全な環境を生み出す要因」があって、それに現場運用者の行動が複雑にからみあって事故へとつながっていくのが現代の「システム性事故」である。この結果生じた事故について、現場の特定の個人にのみにその責任を求めることは、はなはだ不合理、不公平なことと言わざるをえない。
 なぜ、このようなことになるか?それは、法律の条文解釈という物差のみで責任の所在を追及しようとするからであろう。したがって、科学的な手法による要因分析を行い、事故全体を広く検証するための公聴会等の手続を経て、広く社会の常識や業界の実態を反映させるようにすれば、矮小化された判断の中で人間を裁く本件裁判のような誤りは生じなかったに違いない。

2.組織要因の視点
 再発防止を図る上で考慮すべき要因は必ずしも人間ではない。
組織要因は組織システムの構成の一部に関わる不備であり、システムにおける作業のつながりの不適切さでもある。組織要因は作業現場における局所的なエラーを起こりやすくする背後要因として再発防止には不可欠な視点である。
 本事故当時は「TCAS警報と管制指示とが相反した場合にもTCAS指示に従う」との厳密な規定も、訓練における明確な指導もなかった。このためTCASの指示だけでなく操縦士の判断の余地も残るという組織の考えが、事故を重大にした要因である。
判決においてもことさら個人の責任を追及することなく事故を引き起こした背後要因として認識されるべきであると思料する。

3.人間―機械系に対する科学的な視点
 本決定を見るに、航空管制とTCASが十分連携しているかのような誤解が見られる。
関与した操縦士が裁判で証言したように、管制卓にはTCASの警報を予測する十分な情報がなかったことからTCASの作動を予見することは不可能であり、ましてTCAS指示に反する行動を操縦士が取ることなど予想できるはずがなく、予見可能性に関しては重大な事実誤認がある。
航空運航システムは人間と機械の極めて機微に富んだ関係によって運用されている。航空事故の真相を求めるには、航空技術を科学的に見る視点と、ヒューマンファクターをはじめ人間に関する知識に基づいた視点が不可欠である。

4.社会安全の視点
 現代の社会は安全かと問われれば、決して安全とは言えない。科学技術の進歩は、新たなる豊かさと便利さを提供することのみならず、新しい危険を生む蓋然性を秘めている。多くの科学者や哲学者はここに警鐘を鳴らしている。新たなる危険はそれに伴う新たなる事故を惹起し、また多くの危険を潜在化させより不可視化する。
 2006年2月に福島県立大野病院の産婦人科医が逮捕されてから、2008年8月に福島地裁で無罪判決が出されるまでの一連の顛末は、記憶に新しいところである。特にこの事件では、医師の逮捕、起訴から判決までの過程において産婦人科、小児科医らの重篤患者の診療拒否やその結果がもたらす診療のたらいまわし、ひいては産婦人科医や緊急医療に携わる医師のなり手の減少など、所謂“萎縮医療”という新たなる問題を提起した。
 検察、警察が社会の悪と戦っているように、安全とは危険を制御、管理するという概念からして、現代社会で働く者は危険とも戦わなければ安全安心を手に入れ、また提供することはできない。危険との戦いに必要な武器は、法律ではなく、情報開示である。事故やトラブルにはエラーがつきものであり、エラーが犯罪として断罪されるのであれば、黙秘は憲法で保障された権利であることから正直な情報開示はもはや期待できない。エラーの直接原因やその背後要因があまねく開示され、そこから学ぶことによってのみ再発防止が期待され、社会の安全と安心は構築されていくのである。 いま社会が求めていること、また事故の被害者やその家族が求めていることは、その 被害を無にしない再発防止であり、また人々がより安寧に生活を営める環境の構築すなわち社会安全の構築である。本判決があまたある産業界で毎日汗をかいて働く者にとって萎縮医療ならぬ“萎縮安全”をもたらすことは明白であり、安全安心な社会創りという国民の期待は更に遠のいたと言わざるを得ないのである。

結論
 今回の最高裁決定は、社会安全を優先させるという常識的な考察が欠落している印象を抱かざるを得ない。かつて、交通事故の裁判において、被害結果の重大性からのみ加害者を厳罰に処してきた時代があった。しかし、その後、司法は、「許された危険の法理」に一定の理解を示し、1960年代後半の裁判(昭和41年6月14日、昭和42年10月13日いずれも最高裁判決)では「信頼の原則」を採用し、たとえ結果の予見や回避可能性がある場合でも、危険要因を適切に分配することで特定の個人に責任が集中することを避け、業務上過失における注意義務の基準を従前より緩和する判断を示してきた。裁判所がこの法理を採用して半世紀もの年月が経過したが、その間、「人間の特性」についての研究や「システム性事故」の科学的な分析が飛躍的に進歩する中で、司法判断の場ではこの研究や分析がほとんど生かされることなく、今回の最高裁決定に至った。司法界をリードする裁判所に求められることは、厳罰化が必ずしもシステム性事故の抑止にはならないこと、そして社会安全を優先させる民意の形成に一翼を担ってほしいことを要望するものである。

有志一覧:池田良彦(東海大学教授)、河野龍太郎(自治医科大学教授)、中辻吉郎(元航空事故調査官)、鍛冶壮一(航空評論家)、垣本 由紀子(元運輸安全委員会委員)、桑野偕紀(日本ヒューマンファクター研究所)、塚原利夫(同左)、前田荘六(同左)、田中石城(同左)、本江 彰(同左)


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